作者のサイフェルトについては、すでにいくつかの紹介がある。ある程度全体的に説明したものとして、訳者による「多面体の結晶――J・サイフェルトの詩作の発展――」(『詩と思想』一九八九年九月号、土曜美術社)や本詩集の解説などを参照下されば幸いである。
作品の量は膨大で、二一年の処女詩集『涙の中の町』から出発し、生前に刊行された作品集だけで四十以上になる。この間には作風の変化が何段階もあり、初期の素朴なプロレタリア詩、技巧に富んだポエティスム、古典的完成に達したとされる定型詩、洗練された抒情詩、さらに最終期の瞑想や告白を内容とする自由形式の詩体など、多彩な様式が駆使されている。従って、どれが代表的なタイプか決定するのは難しい。
さらにサイフェルトは、激動の二十世紀の中欧の小国家を背景として、政治的圧力にも対抗せざるを得なかった。とりわけ、四八年以降は共産党政権の方針に反対し、特に六八年の「プラハの春」圧殺後は、国内での新作発表は禁止され、地下出版又は国外での出版以外は許されなかった。この結果、「反体制の詩人」という呼名が与えられた。
ただし、チェコ国民の間での評価は圧倒的で、国家賞や国民芸術家の称号を得、ノーベル賞候補指名三回目に受賞者となった。
この詩人についての訳者の関心は、チェコの有名作家J・シュクヴォレツキー夫妻主宰の「六八出版社」が八四年に発行した詩集『ヴィーナスの腕』を手にしたときに一気に高まった。(同社はいわゆる亡命出版社で、チェコ国内における発禁作家の作品を精力的に出版していた。サイフェルトの回想記『この世の美しきものすべて』も、同社の発行である)。同名の詩集は、すでに三六年に出版されていたが、八四年の詩集は、それまでのすべての作品の中から選ばれたもので、全部で一八〇編にも及ぶアンソロジーである。全編を通読して、この詩人の魅力にめざめた、と言ってもよい。ただ、その魅力をどれだけ日本語で表現できたかはおぼつかない。
「ベルリンの壁」と共に社会主義諸国は崩壊し、さらに「この世」特にわが国全体がIT革命に狂奔し、言葉が荒廃しつつある現在、「ヴィーナスの腕」はやはり幻のままで終るのだろうか。